炭の歴史

炭を日本に伝えた人物

庶民の間に炭の利用が広まったのは唐の時代の中国であったと考えられています。当時の中国は家が土や粘土で作られており、冬の厳しい寒さを凌ぐためには窓などの開口部を極力小さくする必要がありました。

開口部が小さいと家事や暖を取るための燃料は煙が出ないものを選ばざるをえません。それが中国において炭(特に一酸化炭素の少ない白炭)の製造技術を発展させる要因となったと考えられています。

この当時最先端の製炭技術を日本に伝えたと言われているのが、804年に遣唐使として唐に渡り二年間の滞在中に様々な技術を見聞した空海であったと考えられています。

日本に戻った後に空海が開いた真言宗の聖地である高野山の近くに、日本の炭の傑作とされる備長炭の発祥地があることや、空海が住んだとされる場所がいずれも炭の産地となっていること、炭焼きの時の排煙穴が「大師穴」や「空海の穴」などと呼ばれていることから日本に体系的に炭作りを広めたのは空海だと考えられています。

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